牛込と神楽坂の歴史を知るコース

神楽坂の発展の歴史をたどるルートです(所要時間 60分)

牛込と神楽坂の歴史を知るコース地図

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①飯田橋駅~牛込見附跡

飯田橋駅西口が出発点。道沿いに行くと最初の交差点のところに牛込見附の桝形の石垣が残る。牛込見附は江戸城から上州街道に繋がる重要なルートで、16世紀前半に徳川家光が外堀掘削の大工事とともに造営したもの。


②牛込揚場

現在ラムラがある場所は、江戸時代は濠で、牛込揚場と呼ばれる河岸があった。江戸湊から隅田川、神田川を経た船荷が着く最終地点で、近くにこうした物流の拠点があったことが、神楽坂発展の一因となった。現在は牛込揚場の碑が残されるのみ。


③軽子坂

神楽坂と並行する軽子坂は、歴史的には神楽坂より古く、軽子坂から赤城神社前を通り小滝橋方面に抜ける鎌倉古道の支線の一つと言われている。江戸時代には牛込揚場に揚がる荷物を運搬する軽籠持ちが多くいたことから、軽子坂と呼ばれるようになった。


④兵庫横丁

神楽坂花街の面影を残す石畳の小路。通り沿いには料亭「幸本」やホン書き旅館「和可菜」も残る。


⑤寺内公園

寺内公園は、神楽坂花街の発祥の地と言われる場所で、江戸時代には行元寺の岡場所があった場所。行元寺移転後もこの場所は「寺内」と呼ばれ、柳家金語楼や勝新太郎がこの地に住んでいた。


⑥相馬屋

文房具屋の相馬屋は、神楽坂で最も古い商店と言われ、正式の商号は相馬屋源四郎商店。遅くとも1659年にはこの地で紙屋を営んでいたという記録がある。夏目漱石や多くの文豪に利用された原稿用紙の発祥の地。


⑦光照寺(牛込城跡)

15世紀後半の戦国時代に、大胡氏(後の牛込氏)によって牛込城が築城されたとされる場所。確かに周囲よりも高い位置にあり、当時は周囲に川も流れ、陣地に適した場所であった。江戸時代になると江戸城を見下ろす場所にあることもあり廃城となり、光照寺が移転してきた。出羽松山藩の江戸屋敷の菩提寺となり、境内には同藩主家の酒井家歴代の墓がある。


⑧朝日坂(横寺町)

この通り周辺には、江戸時代に寺社が移転して集まり、現在の姿となった。かつては現在の神楽坂通りが「通寺町(とおりてらまち)」と呼ばれており、その横丁にあたることから「横寺町」と呼ばれるようになったと言う。


⑨赤城神社

Goal !

14世紀に大胡氏が赤城山麓から牛込の地に移住した時に本国の赤城神社を分祀したのが始まりと言われ、その後太田道灌による移転等を経て、16世紀半ばに現在の地に鎮座。江戸時代には徳川幕府により大社に列せられ栄え、行元寺と並び岡場所も発達した。

お疲れ様でした。赤城カフェで一休みされるのは如何でしょう?