花街のこと

神楽坂の花街は、江戸時代からの行元寺(現在は跡地に寺内公園があります)の岡場所を起源として、明治時代以降に東京六花街の一つと呼ばれるまでに急速に発展しました。この街の魅力を理解するために、花街の基礎知識を学んでおきましょう。

花街とは

現在の花街(かがい)は、芸者・芸妓(げいぎ)が集まっている指定された区域のことを言います。また、芸者・芸妓の世界のことを花柳界と言いますが、これは昔、中国宋代の詩人が「柳緑花紅」と詠んだことに由来しています。柳の鮮やかな緑、艶やかな花の紅色という意味が、華やかな花街のイメージと重なり、これを「花柳」と言ったものが日本に伝わり広まったものです。かつては芸者だけでなく遊女も含めて花街が成り立っていましたが、この両者は明確に区別されていました。現在では専ら芸者を呼んで踊りや演奏といった芸を楽しむことが出来る地域のことを花街と呼んでいます。東京では、新橋、赤坂、芳町、向島、浅草と並んで、神楽坂は東京六花街の一つとして知られており、現在20名ほどの芸者さんがいます。

喜多川歌麿作 深川の雪

喜多川歌麿 「深川の雪」



花街の仕組み

花街は三業地とも言われますが、これは花街では待合、料理屋、置屋の三業種が公安委員会の許可を得て一定の区域内で営業しているためです。三業は組合を作り、その事務所は見番(検番)と呼ばれます。神楽坂でも三丁目に坂の南側へ向かう路地を入ったところに見番(東京神楽坂組合)があり、その前の通りは見番横丁と呼ばれています。三業のうち待合とは貸席のことで、お座敷を付ける場所を提供する業態です。客は待合でお座敷(宴席)を設け、食事は料理屋から取り寄せ、芸者は見番を通じて置屋から呼ぶのがこの世界のシステムです。戦後は待合と料理屋が一緒になり、自ら料理を出し料亭と呼ばれるようになったため、三業が二業で運営されることが多くなりました。現在、神楽坂の料亭は、うを徳、千月、牧、幸本の4軒です。
    

主要参考文献:

 芸者論(岩下尚史、雄山閣 2006年10月)

 花柳界用語辞典(冴月さくら、アドレナライズ、2012年)